あれは、私がまだ社会人になって間もない、夏の暑い日のことでした。祖父の訃報が入り、私は慌てて会社を早退し、実家へと向かいました。クローゼットから喪服は引っ張り出したものの、合わせるワイシャツがクリーニングから戻っておらず、手元には普段仕事で着ている数枚しかありません。私は深く考えることもなく、その中から一番綺麗だった白のボタンダウンシャツを選び、通夜の会場へと向かったのです。会場に着くと、すでに多くの親戚が集まっていました。叔父や従兄弟たちは皆、きりっとしたレギュラーカラーのワイシャツに黒ネクタイを締め、厳粛な雰囲気を醸し出しています。その中で、私の胸元のボタンは、自分でも驚くほど悪目立ちしているように感じられました。特に、父の兄である伯父と挨拶を交わした時のことです。伯父は私の顔を見た後、すっと視線を落とし、私の襟元を一瞥して、ふっと顔をしかめました。何も言われませんでしたが、その無言の表情が「お前はそんなことも知らないのか」と、雄弁に私を責めているように感じられたのです。その瞬間、私の顔から血の気が引いていくのが分かりました。お焼香の列に並んでいても、読経を聞いていても、頭の中は「場違いな格好をしてしまった」という後悔と羞恥心でいっぱいで、大好きだった祖父との最後のお別れに全く集中することができませんでした。あの日の経験は、私にとって大きな教訓となりました。マナーとは、単にルールを守ることではありません。それは、故人を心から偲び、悲しみの中にいるご遺族に余計な気遣いをさせないための、最低限の思いやりなのだと。たかがワイシャツの襟、されど襟。その小さなディテールへの配慮を怠ったことで、私は故人に対しても、親族に対しても、そして自分自身の心に対しても、大きな失礼を働いてしまったのです。