あれは、私がまだ社会人経験の浅い若者だった頃の、蒸し暑い夏の日のことでした。学生時代の恩師の訃報が、突然舞い込んできたのです。仕事が立て込んでおり、私はその日の業務を終えてから、作業着から着替え、慌ててお通夜の会場へと駆けつけました。喪服のスーツは羽織ったものの、急いでいた私は、うっかりネクタイを締め忘れてしまったのです。会場に着き、受付を済ませて焼香の列に並んだ時、私は周囲の男性参列者たちが皆、きちんと黒いネクタイを締めていることに気づきました。その中で、私の開いた首元は、まるで自分だけが場違いな存在であるかのように感じられ、顔からさっと血の気が引いていくのが分かりました。ご遺族にご挨拶に伺った際も、その優しい言葉とは裏腹に、私の胸元に一瞬向けられた視線が、私自身の非礼を責めているように思えてなりませんでした。大好きだった先生との最後のお別れなのに、私の頭の中は「だらしない格好をしてしまった」という後悔と羞恥心でいっぱいで、先生の遺影をまっすぐ見つめることすらできませんでした。お通夜だから、急いで駆けつけたから、という言い訳は、自分の心の中では全く通用しませんでした。むしろ、大切な恩師の弔いの場だからこそ、完璧な身なりで臨むべきだったのです。この苦い経験は、私に服装マナーの本当の意味を教えてくれました。それは、単なるルールではなく、故人への感謝と敬意、そしてご遺族の心を乱さないための、最低限の思いやりなのだと。たかがネクタイ一本。しかし、その一本を怠ったことで、私は故人を偲ぶという最も大切な時間を、自ら台無しにしてしまったのです。